どーも、漆黒のストーリーには完全にやられたまふーです。あまりにもストーリーや世界観、キャラが良かったのでクリアするのが勿体なかったぐらい。のんびり遊びすぎて零式への準備が遅れるというね……。
今回の考察は5.0の漆黒ストーリーについて考察。最終的には『完璧な古代人VS分割された原初世界の住人』という対決になったわけですが、筆者はこの対立の構図に運営のあるメッセージがこめられているのではないかと考えました。運営からのメッセージがストーリーに含まれているという仮定で、今回は筆を進めておきます。
古代人VS分割された人々はプレイヤーの対立を暗示?
FF14は遊び甲斐のあるゲームなので、いろんなタイプのプレイヤーがいます。楽しければいいやのライト勢はもちろん、下調べや練習に努力を惜しまないガチ勢も存在します。ハウジングや釣り、地図にゴールドソーサー、いろいろ遊べ、それぞれにガチ勢が存在してるイメージです。
とはいえ、FF14の花形コンテンツは高難易度バトル。この高難易度バトルをクリアするために、プレイヤーは戦闘スキルが求められます。戦闘スキルの中には、効果的に火力を出すためのスキル回しが含まれており、DPSロールの場合、このスキル回しを調べながらしっかり練習するかどうかで土台となる足腰のようなものが変わってきます。
ここでコンテンツをクリアするためには努力を惜しまないガチ勢と「なんでゲームのために練習なんかするの?」という姿勢の一部ライト勢とのギャップが生まれてきます。様々な情報やツールを駆使して最高のパフォーマンスを生み出そうとするプレイヤーと、木人にすら手をつけないライト勢は、同じコンテンツで遊ぶケースが少ないはずなのですが、極や零式が以前よりカジュアルになったため、ガチ勢とライト勢の乖離はより目に付くようになりました。
様々なツールを駆使するガチ勢は古代人的存在?
古代人の創造魔法ではありませんが、ガチ勢は様々なツールを駆使します。特に公式には認められないアレとかアレとか。絶アレキサンダーのワールドファーストにおいては、マーカーを戦闘中に自動配置する機能が問題となり、その後ゲーム本編で対策が施されるほどです。
攻略・研究に惜しみなく時間と労力を割くトップ勢にとって、ジョブガイドに目を通すかも怪しいライト勢の一部は赤子のような存在、優越感をもつための比較対象ですらありません。
正論も含んでいるライト勢の主張
ライト勢の中には「なんで遊ぶためにゲームやってるのに、練習なんかするの? 本末転倒じゃない?」と考えるプレイヤーもいます。これは正論です。ただし、一部をのぞくバトルコンテンツではチームプレイが必要であり、高難易度で練習嫌いのプレイヤーが混じると、クリアが遠のくのも事実です。
数値化、視覚化されることによって深まる溝
運営的にはアウトと言わざるを得ないACなんとかや、ffloなんとかによって、ダメージを与える能力の数値化、視覚化が進み、戦闘能力の差が顕在化するようになりました。
それに従い、低火力のプレイヤーをこきおろす人々も生まれ、一部ガチ勢とライト勢の溝は深まることに。
この状況をまずいと思った運営が、5.0のメインストーリーに、古代人VS分割された人々の構図をもってきたのではないかと筆者は推理しています。
古代人代表のエメトセルクは、原初世界の人々に期待をかけた
圧倒的な能力と意識の差をもつ、古代人と分割された人々ですが、古代人の代表ともいえるエメトセルクは原初世界のヒカセンを含む分割された人々をできそこないと呼びつつも、その不完全な人間に淡い期待を寄せているんですね。
決して見下して突き放して終わりじゃないんです。できれば古代人の人格的、能力的ステージまでのぼってきて欲しいと願っています。
分割された人々は成長へに意欲を見せた
古代人にとっては赤子同然のヒカセン御一行ですが、自分たちの能力が劣り、古代人のように不和や争いと無関係ではいられぬと自分たちの未熟さを認識しつつも、統合される運命に抗います。
蒼天時代に成長物語を見せてくれたアルフィノが、漆黒では未熟な人間でも成長し、不和と不信が渦巻く世界を変えられると熱弁します。それは成長を望み、希望をもって苦難を乗り越えようとする分割された人々の代弁でもあります。ユールモアで安逸(とメオル)をむさぼっていた人々も、第一世界の危機に対し立ち上がります。
5.0漆黒ストーリーの古代人と分割された人々が対立した結果
メインストーリーをクリアした人はお分かりでしょうが、意地と意地のぶつかり合いの結果、分割された人々の代表であるヒカセンが勝利し、古代人代表のエメトセルクは退場します。
しかし敗退したエメトセルクはヒカセンを恨むではなく、微笑むような表情で、その重荷から解放されていきます。ヒカセンの中に、古代人の魂を見たという推測も立てられますが、筆者は何度も期待をかけては絶望してきた原初世界の人々が成長した姿を見せ、全き人間であるはずの古代人を倒したからではないかと推測しています。
もちろん、あまりにも長い間背負ってきた古代人復活の重責から解放されたという事実も関係しているでしょうが……。
歩み寄りを見せたガチ勢と、期待にこたえたライト勢の物語?
古代人=ガチ勢、分割された人々=ライト勢という風に置き換えると、5.0漆黒ストーリーはガチ勢とライト勢の融和を説いた物語となります。ガチ勢とライト勢の融和は、運営側がのぞむところでもあります。
プレイヤーの間口は広くあって欲しいももの、新規が増えることによって一部のコンテンツがカオスになることも予想されており、その中でガチ勢には手助けを、ライト勢には成長を期待しているのかなと。
結局、融和はうまくいってる?
主にまとめサイトにおける情報や自分の体感からすると、歩み寄りはうまくいかず、ギャップは激しくなっている感じがします。(共鳴編零式を遊んだ感想です)とはいえ、漆黒の評判を聞きつけて始めた不慣れなプレイヤーが多いと思うので、一時的に戦闘コンテンツが混とんにまみれるのは仕方がないことだと思います。
かなり乱暴なカテゴリ分けですが、プレイヤー層に関する自分のイメージは以下の通り、
・真のガチ勢=トップ層=比較的閉じたコミュニティで研鑽を積んでいる。野良に出てきて、低火力をバカにする機会がそもそもない
・雑なガチ勢=色や数値で低火力をバカにする。固定だけで完結していないため野良でスキルの低い人が混じるとグチってしまう
・熱心なライト勢=練習や調べものをするが火力を出し切れていない。自覚があるので引け目を感じている
・雑なライト勢=我流のスキル回しをするなど、微妙にずれている。火力が出し切れていない自覚がない
・怠惰なライト勢=なるべく練習したくない。フェーズ詐欺をしてもクリアできればいいと思っている。チームプレイの意識が薄い
・非戦闘系ライト勢=エンジョイ勢=ストーリーや非戦闘コンテンツ中心なので、ほとんど対立に巻きこまれることがない
こうやってカテゴリ分けしていくと、古代人と分割された人々の融和は、トップ勢と熱心なライト勢が想定されているのかな?
戦闘好きのライト勢が、みんな熱心なライト勢になれるよう、運営側に中級者の館や公式DPSメーター、コンテンツ突入準備としての木人討滅戦の義務化を期待する声もネット上では見られますが、メンターというシステムが存在するように「なんでんかんでん運営に頼らず、MMOなんだからプレイヤー同士でどうにかせい」という姿勢を、少なからず運営はもっていると思います。運営がギッチギチに介入・管理するとプレイヤーたちは息苦しくなっていくでしょうし。
一番話題となるのは、雑なガチ勢による雑および怠惰なライト勢へのグチ
古代人レベルにまで成熟しておらず、何らかの理由で野良に出てくるガチ勢は、コンテンツでライト勢と同席することになり、そのグチが身内やネットの中でこぼされます。
熱心ではないライト勢は、そもそも自分の火力が分からないので、火力を上げるためにはどうするべきかまで考えませんし、そもそもチームプレイの意識がない人も。
運営側が期待しているエメトセルクとヒカセンの融和は、ガチ勢、ライト勢それぞれの下位にいる人には縁遠いです。
運営の想定より民度(?)の低い人が、ネットにギスギスの話題を提供しているといった状況です。対立を煽るような記事は注目が集まりますし、その情報だけ見ると「ガチ勢とライト勢にある溝は深まっているのでは?」という印象はぬぐえません。ただ、一部の情報が目立っているだけで、全体の情報に目を向けると話が変わってきます。
紅蓮の時代に比べると、零式の攻略情報を個人レベルで発信する人が増え『戦闘コンテンツに参加するプレイヤーのスキルを底上げしたい』というガチ勢の想いが伝わってきます。学習環境については、以前よりはるかに整っているのではないでしょうか?
以前のユールモア市民のような怠惰なライト勢(遊びに関して怠惰という表現はそぐわない気もしますけど)はそもそも上達の意思がない可能性があるので、期待すべきは雑なライト勢。彼らが有用な情報を自ら摂取するようになれば、ガチ勢VSライト勢の対立はいくらか緩和されていくと思います。それが漆黒ストーリーにこめられた運営の願いだと思いますし。
まとめ
漆黒ストーリーに、ガチ勢とライト勢の融和を願う運営のメッセージがこめられている可能性があるよ。ネットでは対立を煽るような記事が散見されるけど、攻略情報の公開数を見ると両者が歩み寄る機運は訪れているよ。ただ、共鳴編零式のギミックがこれらに水を差していると筆者は感じるよ。